東京地方裁判所 昭和39年(ワ)12663号 判決 1966年11月08日
主文
1 別紙目録記載の土地につき、原告涌井秀行が十一分の六、同涌井秀新が十一分の四、同涌井和子が十一分の一の各共有持分権を有することを確認する。
2 被告は原告らに対し、別紙目録記載の土地につき、東京法務局墨田出張所昭和三九年六月九日受付第一七八八二号をもつてした昭和三八年六月二六日相続を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告らは、主文同旨の判決を求め、その請求原因として、
「一、原告らは、亡全〓萬(本籍は被告の本籍に同じ。)の子である。
1 全〓萬と涌井カノは、昭和二〇年九月から事実上夫婦となつて新潟県中魚沼郡南町大字外丸丁一九〇二番地で同棲生活をし、昭和二一年から埼玉県大宮市に移り、昭和二二年秋から東京都墨田区堅川町に居住し、昭和二三年九月から原告肩書住所で生活し、その間、昭和二一年六月一四日長男秀行、昭和二四年二月一七日二男秀新、昭和二六年七月二七日長女和子が出生し、昭和三八年六月二六日、全〓萬は右住所で死亡した。
2 昭和三九年六月四日、涌井カノは、原告らの法定代理人として認知訴訟(東京地方裁判所昭和三九年(タ)第一六六号第一六七号第一六八号認知請求事件)を提起し、原告ら三名が全〓萬の子であることを認知する旨の判決が同年一二月四日確定した。
3 原告ら三名のほか、全〓萬の法定相続人はない。
二、被告は、戸籍上全〓萬と涌井ミヨシ(涌井カノの姉)との間の嫡出子とされているが、真実は両名の子ではない。
1 被告の父母は、〓元好と温田みつである。被告は昭和一五年三月一三日、右両名間に、温田紀子と同時に双生児として出生した。
2 〓の友人全〓萬は、被告を引とつて養育することになり、戸籍上、右嫡出子として届出たものであるが、血統上も法律上も親子関係は存在せず、被告は全〓萬の相続人ではない。
三、法例第二五条によれば、相続の準拠法は被相続人の死亡当時の本国法によるものとされ、全〓萬の本国法である韓国の民法第九八四条、第九八五条によれば、原告涌井秀行は戸主相続人であり、原告涌井和子は全〓萬と同一家籍にない女子であるから、同法第一〇〇〇条、第一〇〇九条により原告涌井秀行が六、同涌井秀新が四、同涌井和子が一の割合による相続分を有する。
四、被告は全〓萬の相続人であると称し、原告らの相続権を否認して、全〓萬の遺産である別紙目録記載の土地につき主文第二項掲記のとおり相続による所有権移転登記手続を経た。
五、よつて、主文同旨の判決を求める。」
旨陳述し、嫡出子出生届の養子縁組への転換に関する被告の主張に対し、
「養子縁組は日本においても韓国においても要式行為であり法定の届出を要する。嫡出子出生届をもつて養子縁組に転換することは、いずれの国においても許されない。」
と述べ、立証(省略)
被告は、請求棄却の判決を求め、請求原因に対する答弁として、
「一、請求原因第一項中、原告らが全〓萬の子であること、全〓萬が昭和三八年六月二六日原告肩書住所で死亡したことは認める。全〓萬に原告ら三名のほか法定相続人がないとの点を否認し、その余は知らない。
二、同第二項中、被告が全〓萬の嫡出子とされていること、涌井ミヨシが涌井カノの姉であること、被告が〓元好と温田みつの間の実子であることは認め、その余は争う。
三、同第三項は争う。
四、同第四項中、全〓萬の遺産である別紙目録記載の土地につき、被告が主文第二項掲記のとおり相続による所有権移転登記を経たことは認めるが、その余は否認する。
五、被告は全〓萬と涌井ミヨシのもとで養育されたが、ミヨシは昭和二〇年三月一〇日死亡し、全〓萬は涌井カノと事実上夫婦となつた。被告は日大一高を卒業し、日本大学法学部政治経済科に入学したが、四年で中退した。昭和四〇年二月被告は、父が〓元好、母が温田みつであることをはじめて聞かされた。
六、全〓萬のなした嫡出子出生届は養子縁組への転換を認むべきである。すなわち、
1 家庭的、社会的、精神的にも戸籍の記載に合致する親子共同生活をしてきたものであり、被告はこれを疑わなかつたのであつて、本件のごとく親子として二十六年間も平和な家庭生活を続けてきたばあいには、その地位を尊重し、法的親子関係を認むべきである。
2 実父母〓元好、温田みつと、全〓萬、涌井ミヨシとの間に養親子関係を設ける意思を以て話合ができた。
3 養親子関係と嫡出実親子関係とは法律的には主要な内容に大差なく、無効な嫡出届が認知届と認められるとすれば、本件でも嫡出子出生届を縁組届として容認しても不都合はなく、かえつて社会の実情にそうものと信ずる。」
旨陳述し、立証(省略)
別紙
目録
東京都墨田区亀沢町四丁目一五番の一二
一、宅地 一〇八坪二合二勺